2007年9月14日金曜日

ヤイリギター


 高校生の頃からお世話になっているヤイリギターに久しぶりに行ってきた。
 矢入(やいり)社長さんもお元気そうで、一緒に写真を撮っていただいた。もちろん「男性とは写真なんて撮りたくない」とおっしゃっていたが、何とか頼み込んで。
(ちなみに親子ではありません[笑])

 ヤイリギターは、日本で唯一ハンドメイドのギターを作っているギター工場で、最近ではBEGINとのコラボレート作品である「一五一会」などで有名だ。私自身は一五一会が開発される前に、エンジョイシリーズ(小型ギター)というものがあったのだが、そのモニターをさせてもらったりした。

 社長さんはたくさんの雑誌でも紹介されているので、ご存知の方もいるかもしれない。いずれにせよ、「一生使えるギター」をユーザーに提供するという信念(永久保証)と、ヤイリの工場で働いた職人さんが将来独立して立派なギター職人になることができるようにという育成方針をもってやっておられる。ギター一筋の本当に味のある親父さんである。

 高校生の頃から愛用している私のギターは、様々な傷みや傷が付いてしまったが、何度も修理してもらい現在でもいい音色を出している。

 ヤイリギターの工場の周りの景色は、どんどんと変わっているが、ヤイリだけは昔から変わらず、懐かしいひと時を過ごさせていただいた。

ヤイリギターHP
http://www.yairi.co.jp/

2007年9月11日火曜日

細胞から見る共生

 細胞というのは、面白い。所謂生命体と呼ばれるものには必ず細胞が存在する。生命体とは細胞の集合体なのである。大学院生のときに、他学科の教育免許を取るため履修していた生物の授業で、DNAやRNAなどのことについて学んだ。RNAとDNAではDNAの方が構造的にしっかりしていて、エイズウィルスやインフルエンザウィルスは基本的にRNAであるため、安定せず、よく変異を繰り返すため特効薬を作るのが難しいなどの話を聞いた。

 また、人間が生まれてくる過程で、おなかの中の赤ちゃんは生物の進化の過程をたどって最終的に人間として形成される。そして人間のDNAは長い間の進化(と言っていいのかわからないが)の過程で、色々な生物の遺伝子やウィルスに感染することで長くなったなどの話も聞いた。

 まだ地球に微生物(バクテリア)しか存在していなかったとき、互いに相手を食べて消化していたのであるが、あるとき、共生が始まったとも聞いた。つまり、取り込んだ他の微生物がそのまま体内で生き続けることによって、多細胞生物が誕生したという。人間の体内で言えば、人間とは違うDNAを持つミトコンドリアなどがその良い例と言えよう。まったく別の生物同士が共生することで、多細胞生物になり、進化してきたというのだ。その証拠に、動植物などの生命体は必ず同じような構造を持つ細胞を持っている。つまり、細胞という生命体が人類や動植物などの生命体の起源とも言えるのだ。(c.f.細胞説)

いずれにせよ、私たちが共に生きているということはこの世界の本質でもあるということを教えられたように思う。

2007年9月6日木曜日

キティーちゃんお守り


 寺めぐりの取材でこのごろはよく神社仏閣を参拝しているが、そんな中で、必ずといっていいほど目に留まるものがある。それは、「キティーちゃんお守り」。今まで行った寺社の社務所にはなぜかキティーちゃんお守りが・・・。しかもその寺社限定版のお守りなのである。

 神仏の加護を祈るお守りになぜキティーちゃんというキャラクターが付いているのだろう?
 そんな疑問を持った。

 そんな話を会社のwさんに話したところ、wさんが現在愛用しているシャープペンシルを見せてくれた。なんとそこにもキティーちゃん。地域限定版のシャープペンシルなのだそうだ。
恐るべし、キティーパワー!

 あまり言うとキティーちゃんの宣伝になってしまいそうだが、たとえば子どもたちがぬいぐるみをかわいがる姿に、人が人を思いやる気持ちが現れているのも事実であろう。そのような意味ではキティーちゃんお守りが子どもたちに渡され、そのお守りを子どもたちが大切にすることによって、神仏に向かう気持ちや人を思いやる気持ち、物を大切にする心などが育まれていくのかもしれない。

2007年8月30日木曜日

信号と相対的在り方

毎朝、烏丸通を北上して会社に向かう途中、気になっていることがある。
それは路上のマナーといったものだ。

通勤時の烏丸通はさすがに人通りが激しく、人も車も自転車もごった返している。
信号が赤になっても立ち止まろうとしない人々、後ろから突っ込んでくる自転車、赤信号を無視して走り抜けていく車など、けたたましい。

ベトナムから帰ってきたばかりのときは、車が一台も通っていないのに信号を守ることやヘルメットをかぶってバイクに乗ることなどが、不思議に感じられたが、今ではかえって日本のルールを守ることが楽しく感じられるようになった。今自分は日本にいるんだ、という実感が湧くからだろう。郷に入っては郷に従えとはよく言ったものだ。

人々が猪突猛進しているような姿を客観的に眺めるのもなかなかおつだなとこの頃は感じている。こんな喧騒の中で、しっかりルールを守って赤信号で立ち止まる一握りの人々を見て、何か安心感を感じたりもする。一人一人の行動に、それぞれの在り方・存在そのものがあふれ出ていて、このような相対的な在り方のすべてをひっくるめて世界の在り方なのだなと感じる。

2007年8月27日月曜日

ミクロの世界とマクロの世界

この世界がどうなっているのか、子供心によく考えたことがないだろうか。
 高校時代に化学の勉強をしたとき、大変面白いと思ったことがある。それは、原子の構造だ。陽子、中性子、イオンなどの素粒子は、まるで月が地球の周りを回っているように、もしくは地球が太陽の周りを回っているように原子核の周りを規則正しく漂っていると聞いた。さらに、それぞれの素粒子は、引力と斥力の両方の兼ね合いにより結合・離反しているのである。これはまるで、宇宙の働きそのもののようだ。
つまり、ミクロの世界とマクロの世界は構造的に大変よく似ているということは大変興味深い。
 このようなことは、実は、紀元前5世紀ごろにはギリシャ哲学で考えられていたことだという(もちろん実証はされていなかったが)。エンペドクレスという自然哲学者は、愛と憎しみという二つの力によって物質が離合集散することでこの世界は成っていると言ったそうだ。

そこで私は空想する。
 実はこの世界のさらに外側には、より大きな世界が存在し、その大きな世界の住人の、体の中の細胞などを構成する小さな原子こそが私たちの宇宙なのではないかと。もちろん、この考えは、無限遡及して、結論が出ない。
 しかし、私たちの存在とはいったい何なのか?と考えるときに参考となる、ひとつの大事な思索になりうるような気がしている。

2007年8月20日月曜日

存在(いき)ていること

 私たちは「生きている」。この「生きている」という現実を、存在論的な観点から表記してみると、「存在(いき)ている」と書ける。これは、私たちが他から独立した唯一無二の存在としてこの世界に存在していることを表したものである。もちろんこれは私の勝手な造語であるが、しかし私たちは日常、存在ということを意識しているだろうか。

 以前教師をしていたときに、子どもたちに生きることの意味についての作文を書いてもらったことがあるが、一人の子どもが「存在」という漢字を間違えて「尊在」と書いていた。私はその時、子どもたちの感性の鋭さに、ひどく心を打たれた。そして、「尊在」という言葉が私の頭の中を、その後何度も駆け巡ったことを覚えている。

 「一寸の虫にも五分の魂」と言われるが、「尊在」という言葉は、私たち存在するものすべてに対する、なんと慈愛に満ちた言葉であろうか。このような言葉に対する感性は、子どもたちの方が恐ろしく敏感である。

 私たち人間は生きているということを単に自分が存在すること(自存)だけで考えてしまいがちだが、実際には私たちは存在することによって、互いに影響を与え合っている。

2007年8月12日日曜日

感謝の言葉あれこれ

「感謝」という言葉は中国から来た言葉であろう。感謝という言葉をそのまま考えるとすれば、謝る気持ち、相手に対する申し訳なく、有り難いと感じる気持ちを感じるということであろうか。
しかし、おもしろいことに中国語の感謝はなぜか、謝々(シェシェ)である。謝るという言葉の繰り返しが中国では感謝を表すのだ。「ご迷惑をおかけしております。」ということなのであろうか。いずれにせよ、相手に対する何か申し訳なく感じる気持ちを表しているように感じる。
 考えてみれば、私たちは誰かに迷惑をかけてしか生きていけないような存在ではないだろうか。持ちつ持たれつ、お互いに迷惑をかけつつも長い旅路を助け合って生きていく。そんな気持ちが感謝や謝々という言葉の中に含まれていると感じられる。

 ところで、お隣の韓国では感謝の言葉はカムサハムニダで、カムサは感謝という漢字を表している。日本と同様、韓国では感謝と言うのだ。ベトナムはどうかというと、カムオン(感恩)と言い、恩を感じることを表している。また、英語のThankは、Think(思う、考える)と同語源で、自分が感じる思いを相手に表す言葉であろう。ちなみにこれはドイツ語も同じでダンケdankeも英語同様に、denke(思う)と同語源であると聞いた。

 いずれにせよ、感謝の気持ちを胸一杯に感じるということが、人間らしさの大切な一因なのではないかと思う。