2007年11月8日木曜日

ベビーカー

ベビーカーに子どもを乗せてはじめての買い物に行った。

妻は買い物、私は子守(?)であったが、我が子はいい子にねんねしていた。

しかし、ベビーカーをひいての買い物がこれほど難しいことだとは思わなかった。世のお母さんたちはすごい。私が慣れていないせいもあるとは思うが、ベビーカーの操作だけでも大変に感じた。

スーパーで周りを見てみるとベビーカーをひいたお母さんがたがたくさんいたのだが、多くの方はベビーカーを一人でひきつつ買い物をしているのだ。考えてみると新生児を持つ世のお母さん方は日々の買い物を一人でしているに違いない。

「母は強し」この一言に尽きる。


・・・父も微力ながらお手伝いさせていただきます。

2007年11月7日水曜日

忘れること

私は元来忘れっぽい。
小さい頃から忘れ物もひどかった。

最近では脳内トレーニングのようなものが流行っていて、すごいなぁ、とは感じるが、人間にとって忘れることも大切なことのように思う。

夜見る夢というのは記憶の整理なんだと聞いたことがある。
眠っているときに脳が記憶を整理整頓し、今日一日の記憶が長期記憶と短期記憶の両方に振り分けられるため、夢を見るのだそうだ。

今日一日自分がしたことをしっかりと清算して、また新たに明るい一日である明日を生きていくのだと思う。

2007年11月6日火曜日

暖かさ

以前、阪神淡路大震災の被害に遭われ、またご自身が看護師として精神的後遺症に悩む人々の心のケアをされていた方の公演をお聞きしたことがあった。
そのときに人間というものは過去のつらい経験を時を重ねるに連れ、人に語ることができるようになるものであり、心というものは成長し、強くなるものなのだというお話を伺った。

また、人は誰かがそばにいてくれるだけで心が安らぐものなのだというお話を伺った。誰かがそばにいてくれる。それが人間の存在の重みなのだと。

私たちはすぐ直後に起こることさえ予知できないのだから、ぜひ近くにいる人々に愛のある暖かい言葉をかけてくださいと、そのときお願いされたように思う。

特に日本の男性は妻に対して愛のある言葉を語るのが苦手だという。
耳の痛いお話であった(笑)

少し寒くなってきたし、ハズカシイ気持ちを少し横において、暖かい言葉のひとつでも語ってみようかな、と思う。

2007年11月5日月曜日

寒さ

私はどちらかというと寒さよりも暑い方が身体的にも合っているように思う。
以前ベトナムで生活していたときには、ベトナム人に間違われるほど日焼けして、冷房も使ったことはなかった。

しかし、寒さとなるとこれがまた骨身にしみてしまう。
この頃は急に寒くなってきたため、朝晩はくしゃみが止まらず、布団から離れられない位になってしまう。

寒いときには布団にくるまることが一番の幸せかも知れない。



そんな私なのであるが、なぜかいつもギャグを言うと寒いと言われる(笑)

2007年11月4日日曜日

未来祭り

玄米工房あすかさんで行われた未来祭りに参加させていただいた。
お店からあふれるほどの人、ヒト、ひと。
初めてお会いする方も多数いらっしゃったが、本当に有意義な集まりであったように思う。

初めて食べさせていただいたクレープ職人宮内氏のクレープに感動。
初めてクレープを作っているところを間近で見てさらに感動。

女性が多かったため、私を含め男性陣は少し緊張気味であったが、色々な人に出会えて本当によかった。

玄米工房あすか様、本当に楽しい時間を有り難うございました。

2007年11月2日金曜日

おむつ

以前まではオツムばかり使ってきた私だが、このごろはオムツをよく使う。(おやぢギャグ?!)

そう子どものオムツだ。


オムツはよく選ばなければならない。子どもの肌に合うかどうかが重要となってくる。

実はお祝いに頂いたオムツを使ったのだが、使い出して3日くらい経ってから子どもが大声を出して泣き止まなくなった。赤い湿しんが多数できており、すぐにお風呂に入れた。お風呂に入れるとようやく泣き止んだ。原因を考えてみたら、オムツを変えたことに行き当たったのだ。

オムツなんてどれも同じだろう、くらいに考えていた私だから、ただでもらったものを使い終わってから買い足せばいいだろうと気楽に考えていた。
しかしそれは大きな間違いだったのだ。

赤ちゃんの肌に合ったオムツ選びが必要だとわかった。


わが子のオムツ代を稼ぐため、パパは今日も働く・・・

2007年11月1日木曜日

ボランティア

ボランティア(Volunteer)という言葉は、ラテン語のVoluntas(意志)から派生した言葉で、直訳すると「自らの意志を持つ者」ということになる。



もっと簡単に言ってしまえば「自ら好きなことを進んでやっている人」ということになるだろうか。




大学一年生のとき、ひょんなことから、とある小さなボランティアサークルの主幹をさせられたことがあった。それから色々とボランティアとは何か考えるようになったと思う。


学生のときは、何かボランティア的なことをすることがとても正しいことであるかのように考えて、障害者の介護や老人の介護に行った記憶がある。自分がやっていることは正しくて良いことなのだと過信していたように思う。


 お年寄りや体の不自由な人を助けることはもちろんボランティアであるし、海外ボランティアなども今はある。
 ただ、気づいたのは、間違ってもボランティアとは悪いことが起こるのを期待することではないということだ。ボランティアサークルをやると、何かからだの不自由な人はいないか、とか、自分を必要としている人はいないだろうかなどと自分よりも劣っているもの、自分よりも弱き者をさがしていたように思う。裏を返せばそれは、何か悪いことが起こらないかと期待することでもあったのだ。



 もし悪いことが起きたときに自分が何者かであるかのように人を助けたりすることがボランティアであれば、悪いことが起こるように、もしくは困っている人がいるように願うことがボランティアの本質になってしまう。つまり単に自分の格好良いところを見せたいだけに過ぎない。


 そうではなくて、自分の周りにいる人をありのままに受け容れ、障害者だとか国籍だとか老若男女だとかを意識せず、仲間として自然に愛する意志を持つことがボランティア的生き方なのだと思う。