2008年8月25日月曜日

いったいだれが?

毎日通勤には阪急電車に乗っているのであるが、今日のアナウンスが少しだけ違っていたことに気がついた。

通常であれば、「ドアが閉まります。ご注意下さい」というアナウンスが流れる。通勤ラッシュの中、駅員さんたちも全員、「ドアが閉まりますので、駆け込み乗車はご遠慮下さい!」「ドアが閉まります!」と声をかけられている。電車を運転している車掌さんのアナウンスも「扉が閉まります。ご注意下さい。」といったものだ。


ところが、今日の車掌さんは、「ドアを閉めます。ご注意下さい。」と言われた。


私は、実は、なにかずっと違和感を感じていた。
「いったいだれがドアを閉めているの?」と。

ドアを閉める側の駅員さんも、「ドアが閉まります」とドアを主体とされているし、車掌さんも「ドアが閉まります」と、ドアがまるで勝手に閉まるかのように話されているのだが、実際にドアを閉める「主体者」は、運転手である車掌さんや運営されている駅員さんたちのはずである。ところが、そういう表現がされていないのである。

これは日本語そのものが、主体者ではなく、物そのものを主体者とする傾向にあるためなのかもしれない。

しかし、電車のドアというものは、意思のない機械であるのだから、主体者(主語)として扱われると、何か違和感を感じてしまうのは私だけであろうか。だからこそ、今日の車掌さんが言われた「ドアを閉めます」という言葉がストンと腹に落ちたのだろうと思う。

2 件のコメント:

ヤッシー さんのコメント...

「お茶が入りましたよ」ってやつですね

Syu さんのコメント...

うまい!
座布団一枚!!