2007年8月20日月曜日

存在(いき)ていること

 私たちは「生きている」。この「生きている」という現実を、存在論的な観点から表記してみると、「存在(いき)ている」と書ける。これは、私たちが他から独立した唯一無二の存在としてこの世界に存在していることを表したものである。もちろんこれは私の勝手な造語であるが、しかし私たちは日常、存在ということを意識しているだろうか。

 以前教師をしていたときに、子どもたちに生きることの意味についての作文を書いてもらったことがあるが、一人の子どもが「存在」という漢字を間違えて「尊在」と書いていた。私はその時、子どもたちの感性の鋭さに、ひどく心を打たれた。そして、「尊在」という言葉が私の頭の中を、その後何度も駆け巡ったことを覚えている。

 「一寸の虫にも五分の魂」と言われるが、「尊在」という言葉は、私たち存在するものすべてに対する、なんと慈愛に満ちた言葉であろうか。このような言葉に対する感性は、子どもたちの方が恐ろしく敏感である。

 私たち人間は生きているということを単に自分が存在すること(自存)だけで考えてしまいがちだが、実際には私たちは存在することによって、互いに影響を与え合っている。

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