現在われわれが使用している音階というもの(ドレミファソラシド)は、実は決められたもので、音というものの幅は決め方によってはいくらでもある。
だからこそ音楽をやりだすと単に決まった音階ではなくさまざまの音階があることに気付くであろうし、たとえばギターの調弦も機械で合わせるのではなく、わざと自分の感性や声に合わせて行う場合もある。
古い日本の音階にはファやシの音がないこともよく言われることであるが、そういった音の組合せにこそ個性、民族性といったものが現れ、独特の響きを醸し出している。
音楽はもっと自由に表現されてしかるべきなのだ。これは音楽のみに限った話ではない。
ただ、互いに共通認識がなければ単なる独善的な騒音(笑)にしかならないので、注意が必要ではあるが…。
ふとそんなことを考えていた(笑)
0 件のコメント:
コメントを投稿