2007年10月17日水曜日

1+1=2?

人間というものは概念化ができる存在者と言える。
事物の名前を付けたり、事物の種類(類概念)を定義したりすることで、概念化している。


ところが実際に存在するものを現象論的に捉えると、個々の存在はまったく別存在であると考えることができる。たとえば、小学校の算数の授業などで、りんごが何個あるか、とか、えんぴつが何本あるか、などの問いに対して、子どもたちには数の概念がないため、物を抽象化して扱う算数を理解することは本当に大変なことなのではないかと思う。実際に私自身もそんな生徒の一人だったように思う。


赤いチョークと白いチョークと黄色いチョークがある。それらはチョークという「モノ」としては同じものであるが、色が違うので赤いチョークと白いチョークと黄色いチョークはまったく別物だと思えてしまうのだ。つまり、赤いチョークと白いチョークは私にとっては同じものではない。存在としては一つ一つが独立して存在して、一緒くたなんかにはできるわけがない。

だから、赤いチョークが2本、白いチョークが4本あったとしても、それらのものは合計6本にはならないはずなのだ。あくまでチョークという物を抽象化(数値化)して捉えているに過ぎない。だから、算数で行う計算などはすべて、一人ひとりの頭の中の世界で起こっている脳内現象であり、現実世界で起こっている現実ではないと言える。

まぁそんな屁理屈をこねていた私は、もちろん算数が大の苦手であったが、後になって数の概念を人に教えるときには、役に立ったようにも思う。

ただ、大学生になってびっくりしたのは、哲学では抽象的な概念を具体的に考える能力が必要だと教わったときだろうか・・・(泣)

0 件のコメント: