今年は4年に1度の閏年(うるうどし)。つまり、2月29日がある年である。
今日生まれの人は、「4年に1度しか年を取らない」と冗談でも言われているが、インターネットで調べたところ、民法では閏年の2月29日生まれの人の場合、閏年以外の年は「28日の満了時」、すなわち3月1日が誕生日となると定められているらしい。そんなこと定めなくても・・・と思われるが、しっかり記載されていることがおかしかった。
ちなみに閏年が発見されたのは、なんと紀元前4000年頃で、エジプト人が既に1年を12ヶ月(1ヶ月30日+5日)に区切り、4年に1度の閏年も入れた暦を作っていたという。つまりその当時から人類は数の概念を持ち、時間の概念を持っていたことになる。
今日はそんなことを考えさせられる日である。
2008年2月28日木曜日
国際マンガミュージアム

五百円くらいで一日いられるマンガの図書館といったものだ。喫茶店もあり、マンガも読み放題で、時間のある方にはお勧め。私はまだ行ったことはないのだが、『国際』というだけあって外国人観光客もたくさん訪れているらしい。
実は、この国際マンガミュージアム、もともとは小学校で、廃校になったものを再利用したものとのこと。確かによく見ると建物の造りは学校である。芝生の部分が運動場で、少し増築して現在の建物となったそうだ。
少子化進む日本におけるなかなかの「再生」利用と言えるかもしれない。もちろん、この学校出身だった方々は残念がったそうであるが、しかし小学校が廃校となり、学校そのものが消滅してしまうよりは、なんらかの形で存続していてくれた方が、童心に帰って昔を懐かしむこともできるのではないかと思う。
2008年2月27日水曜日
2008年2月26日火曜日
2008年2月25日月曜日
ビョークのコンサート
ビョーク(Bjork)というアイスランド人の歌手のコンサートに行った。以前から妻がビョークのファンで、たまたまビョークが来日し、コンサートをするということを知った妻が、何とかチケットを手に入れ、一緒にいくこととなったのだ。
芸能人にもファンが多いそうで有名人らしい。私は全く知らなかったのだが、前評判(?)では全体的にマイナーな曲が多く、ずっと聴いていると落ち込むそうである(笑)
たまたまコンサートがある日に妻の母が来て下さることになっており、我が子の面倒を見てくださるということで、今回のコンサートに行くことができたのだ。
おかげで妻と私はビョークのコンサートを満喫できた。もちろんおばあちゃんも孫との時間を満喫したのであるが…。妻にとっては良い気分転換になったのではないだろうか。
ちなみに、八年ほど前に妻がビョークのコンサートに行ったときはクラシックのコンサートのように静かなものだったそうだが、今回のコンサートはエキセントリックというか、アヴァンギャルドというか、トランスチックというか、ものすごく激しいものであった・・・
芸能人にもファンが多いそうで有名人らしい。私は全く知らなかったのだが、前評判(?)では全体的にマイナーな曲が多く、ずっと聴いていると落ち込むそうである(笑)
たまたまコンサートがある日に妻の母が来て下さることになっており、我が子の面倒を見てくださるということで、今回のコンサートに行くことができたのだ。
おかげで妻と私はビョークのコンサートを満喫できた。もちろんおばあちゃんも孫との時間を満喫したのであるが…。妻にとっては良い気分転換になったのではないだろうか。
ちなみに、八年ほど前に妻がビョークのコンサートに行ったときはクラシックのコンサートのように静かなものだったそうだが、今回のコンサートはエキセントリックというか、アヴァンギャルドというか、トランスチックというか、ものすごく激しいものであった・・・
2008年2月24日日曜日
お茶鍋
2008年2月23日土曜日
2008年2月22日金曜日
金ごまいわし、金ごまわかさぎ、金ごまこあじ

中を見てみると、金すりごまがふんだんにまぶされた魚たちの群れ。魚好きの私にとっては大喜びの品々。
「いい友」様、ありがとうございました。スタッフ一同でおいしくいただきます。
いい友様のホームページ
いい友様のホームページ
2008年2月21日木曜日
2008年2月20日水曜日
2008年2月19日火曜日
誕生
二番目の兄のところに待望の長男が誕生した。
名前はまだ決めていないそうであるが、無事に生まれてほっとしている。どうでもいいことではあるが、我が子が生まれたのが9月21日、兄の子は2月19日で、数字が類似しているところが面白い。
実は私の兄弟3人の子供達(長男のところは次男であるが)は、それぞれ同学年となる。我が子の成長に合わせてお互いに相談ができるのは心強い。女の子は我が子だけなので、貴重な存在。とはいえ、いとこが男ばかりとなれば、必然的に我が子も「腕白」「やんちゃ」になる予感・・・(笑)
なににせよ、ご長男の誕生、おめでとうございます。
次男・深堀隆介のプロフィール
わだまんサイエンスの商品、「サクラ石鹸」のパッケージも深堀隆介が描いたものです。
名前はまだ決めていないそうであるが、無事に生まれてほっとしている。どうでもいいことではあるが、我が子が生まれたのが9月21日、兄の子は2月19日で、数字が類似しているところが面白い。
実は私の兄弟3人の子供達(長男のところは次男であるが)は、それぞれ同学年となる。我が子の成長に合わせてお互いに相談ができるのは心強い。女の子は我が子だけなので、貴重な存在。とはいえ、いとこが男ばかりとなれば、必然的に我が子も「腕白」「やんちゃ」になる予感・・・(笑)
なににせよ、ご長男の誕生、おめでとうございます。
次男・深堀隆介のプロフィール
わだまんサイエンスの商品、「サクラ石鹸」のパッケージも深堀隆介が描いたものです。
2008年2月18日月曜日
永井という苗字
私の母方の姓は永井といい、母の家族は元々は島根県の出雲大社の近くに住んでいたという。祖父母の時代に長崎に移り住み、祖母は100歳近くにして現在でも元気に過ごしている。大学卒業を機に、母は仕事で名古屋に住むようになり、たまたま長崎出身の深堀さんに出逢い、結婚したわけである。
まぁそれからは深堀さんなのであるが、会社のWさんに、母方の姓が永井であるという話をたまたましたところ、実はWさんのお母様も永井姓だったということが分かった。これにはびっくりしたが、これもご縁なのだろうと思った。
ちなみに母の妹さんは、滋賀県でたまたま永井という苗字の人と出逢い、結婚後も永井さんである(笑)
人の縁というのは、本当に面白い。
まぁそれからは深堀さんなのであるが、会社のWさんに、母方の姓が永井であるという話をたまたましたところ、実はWさんのお母様も永井姓だったということが分かった。これにはびっくりしたが、これもご縁なのだろうと思った。
ちなみに母の妹さんは、滋賀県でたまたま永井という苗字の人と出逢い、結婚後も永井さんである(笑)
人の縁というのは、本当に面白い。
2008年2月17日日曜日
2008年2月16日土曜日
2008年2月15日金曜日
深堀という苗字
深堀という名前は、長崎に多い名前で、長崎には「深堀町」という町まであるくらいだ。長崎では「石を投げれば深堀に当たる」などという言葉が存在するほど、深堀姓が多い。
だから、長崎に行ったときなど、自己紹介をすると、「どこ町の深堀ね?」と尋ねられることになる。いったいどこ町の深堀なのだろうと親族に尋ねたところ(戦後住む場所が変わったため、元々どこに住んでいたか実は父も知らなかった)、橋口町になるらしい。現在ではどこ町の深堀か聞かれたら、「はい、橋口町の深堀です。」と答えるようにしている。
インターネットで深堀という名前について調べてみたところ、面白いことが分かった。元々深堀家は和田という姓を名乗っていたことがあるそうだ。現在ご縁があって、和田萬商店、つまり和田姓の方と深い関わりがあることに妙に納得してしまった(笑)
ちなみによく間違われるのであるが、私の苗字の「深堀」は「ふかぼり」ではなく、「ふかほり」と読む。
参考:「風雲戦国史-戦国武将の家紋-」
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/hukabori.html
だから、長崎に行ったときなど、自己紹介をすると、「どこ町の深堀ね?」と尋ねられることになる。いったいどこ町の深堀なのだろうと親族に尋ねたところ(戦後住む場所が変わったため、元々どこに住んでいたか実は父も知らなかった)、橋口町になるらしい。現在ではどこ町の深堀か聞かれたら、「はい、橋口町の深堀です。」と答えるようにしている。
インターネットで深堀という名前について調べてみたところ、面白いことが分かった。元々深堀家は和田という姓を名乗っていたことがあるそうだ。現在ご縁があって、和田萬商店、つまり和田姓の方と深い関わりがあることに妙に納得してしまった(笑)
ちなみによく間違われるのであるが、私の苗字の「深堀」は「ふかぼり」ではなく、「ふかほり」と読む。
参考:「風雲戦国史-戦国武将の家紋-」
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/hukabori.html
2008年2月14日木曜日
2008年2月13日水曜日
2008年2月12日火曜日
2008年2月11日月曜日
高級中国茶
妻のお父さんが中国土産を持って来られた。今回頂いたのは、高級な中国茶。しかも「生」の茶葉である。「美云星名茶」というお茶で、これが本当においしい。もちろん今回乾燥品も持ってきてくださったが、生になるとさらに高くなるそうである。ただし、生であるだけに冷凍しておいて、早めに飲まなければならないそうだ。
一度湯通しした後に、ほんの1分ほどだけお湯につけて飲む。
ウーロン茶とは思えないほどまろやかで、これを飲むと気分が落ち着く。
中国茶については詳しく知らないが、このお茶がおいしいことは飲んでいただければすぐに分かるだろう。そして、恐らく値段もそれなりの額ではないかと思う・・・。
孫に会いに京都まで来てくださった「おじいちゃん」に感謝。
2008年2月10日日曜日
お好み焼き屋さん

去年、家の近くにお好み焼き屋さんできた。
名前は「さんすい」
2人の気の良いおばさまたちがやっているお店で、少々値段は高いが、ボリューム満点のお好み焼きである。
この店ができたばかりの時には、妻が3つ購入して帰ってきたのであるが、結構な量があり、食べきれないほどであった。
場所的には少々分かりづらいところにある。
桂川街道沿いにあり、車であれば大阪方面から京都方面へ北上する途中でちょっと測道に入ればお店に行くことができる。ただし、「あ、お好み焼き屋があるんだ・・・」と思っているうちに、通り過ぎてしまうだろう(笑)
私の場合は近所であるため、自転車に乗っていって注文し、焼いている間に別の買い物に行って、帰りに寄って帰るといった買い方などをしている。
おいしいお好み焼きなのであるがボリューム満点なので、購入時にはご注意を・・・
2008年2月9日土曜日
2008年2月8日金曜日
指しゃぶり
2008年2月7日木曜日
来る?行く?
電話などをしている時、今から相手のいる場所に行く場合、一般的には「今からそっちに行きます」と言う。
ところが、くどいようであるが、長崎弁ではそうは言わない。
「おい、今から来っけんが」
などのように言う。
「私は今からそちらに向かいますので」といった意味になるだろうか。
長崎弁では、相手がいる場所に「行く」ことを、なぜか「来る」と表現する。これは、まさに英語の感覚と同じである。
英語の場合、たとえば夕食時にお母さんがご飯ができたとき、別の場所にいる子供たちを呼ぶと、子供たちは「Yeah, I'm coming!」と応える。意味としては「うん、今行くよ」といった具合だ。
英語においても呼びかけた相手のいる場所に行く場合は、come(来る)を使用するのである。
つまり、英語においても長崎弁においても、自分が相手の立場に立って、相手の視点でものを言う、思いやりのある言葉と言えるのだ。
長崎弁などの方言を考察すると、日本語の歴史といったものが垣間見えるようで、柳田國男先生を引き合いに出さずとも、本当に示唆に富んでいて楽しい。
ところが、くどいようであるが、長崎弁ではそうは言わない。
「おい、今から来っけんが」
などのように言う。
「私は今からそちらに向かいますので」といった意味になるだろうか。
長崎弁では、相手がいる場所に「行く」ことを、なぜか「来る」と表現する。これは、まさに英語の感覚と同じである。
英語の場合、たとえば夕食時にお母さんがご飯ができたとき、別の場所にいる子供たちを呼ぶと、子供たちは「Yeah, I'm coming!」と応える。意味としては「うん、今行くよ」といった具合だ。
英語においても呼びかけた相手のいる場所に行く場合は、come(来る)を使用するのである。
つまり、英語においても長崎弁においても、自分が相手の立場に立って、相手の視点でものを言う、思いやりのある言葉と言えるのだ。
長崎弁などの方言を考察すると、日本語の歴史といったものが垣間見えるようで、柳田國男先生を引き合いに出さずとも、本当に示唆に富んでいて楽しい。
2008年2月6日水曜日
おいとわい2
長崎弁では自分(一人称)のことを「おい」、相手のことを「わい」(二人称)と言うのであるが、長崎の知人と一緒に名古屋のレストランに入ったときに面白いことがあった。
その知人は根っからの長崎人なので、自分のことを「おい」と言う。当たり前のことではあるが、長崎以外の地域でも彼は自分のことを「おい」と言うのである。
注文の時、ウェイトレスさんに私が注文した後、彼も私と一緒の料理を頼もうと思ったらしく、「おいもそいばください(私もそれをください)」と言った。
するとウェイトレスさんは、少し怪訝そうな顔をしながら、「すみません、芋はおいておりません。」と言ったのだ。私は大爆笑した。ウェイトレスさんとしては、「お芋ください」と聞こえたらしい。
知人は必死になって「いや、そうじゃなくて、おいもそい(それ)、(メニューを指差し)こい(これ)ね、こいと同じやつばください」と何とか分かってもらおうと何度も繰り返す。彼の方もウェイトレスさんになぜ理解してもらえないのかが分からない様子であった。
知人には申し訳ない話だが、確かに長崎弁を知らなければ「おい」も「わい」も長崎県外の人には理解できないだろう。
長崎の方、長崎以外では、「おいも(私も)」は、「お芋」に聞こえるようなのでご注意いただきたい(笑)
その知人は根っからの長崎人なので、自分のことを「おい」と言う。当たり前のことではあるが、長崎以外の地域でも彼は自分のことを「おい」と言うのである。
注文の時、ウェイトレスさんに私が注文した後、彼も私と一緒の料理を頼もうと思ったらしく、「おいもそいばください(私もそれをください)」と言った。
するとウェイトレスさんは、少し怪訝そうな顔をしながら、「すみません、芋はおいておりません。」と言ったのだ。私は大爆笑した。ウェイトレスさんとしては、「お芋ください」と聞こえたらしい。
知人は必死になって「いや、そうじゃなくて、おいもそい(それ)、(メニューを指差し)こい(これ)ね、こいと同じやつばください」と何とか分かってもらおうと何度も繰り返す。彼の方もウェイトレスさんになぜ理解してもらえないのかが分からない様子であった。
知人には申し訳ない話だが、確かに長崎弁を知らなければ「おい」も「わい」も長崎県外の人には理解できないだろう。
長崎の方、長崎以外では、「おいも(私も)」は、「お芋」に聞こえるようなのでご注意いただきたい(笑)
2008年2月5日火曜日
おいとわい
長崎の知人と久しぶりに電話で話した。
私にとっては久しぶりに長崎弁に触れる機会であった。
彼との会話で思い出したことは、「おい」と「わい」という言葉である。
子供の頃、「プロゴルファー猿」という藤子不二雄さんのアニメがやっていたのだが、その中で主人公の猿くんは、自分のことを「わい」と言っていた。これは広島弁の方言で、自分のことを指す言葉(一人称)であるのだが、通常「わいは・・・」という会話を聞くと、自分を指す言葉のことだと誰もが思うのではないだろうか。
ところが長崎弁では、「わい」とは相手のこと(二人称)を指す。
私は3年ほど長崎に住んでいたことがあるのだが、初めて長崎弁に触れたときには、この「わい」という言葉の意味がさっぱりわからなかった。たとえば、長崎弁では、「わい、なんばしよっと?」というと、「お前は何をしているんだ?」という意味になる。ところが、私にとって「わい」とは自分自身を指す言葉(一人称)であるため、「わい、なんばしよっと?」と言われると、「俺は何をしているんだ?」という意味に聞こえてしまうのである。だから、(この人はいったい何を言っているのだろう?)とか(この人、自分に話しかけてるぞ・・・)という風に理解するのである。自分に対して言われているとは初めのうちはまったく理解できなかったのである。
だから、「わい、バリ(とても)頭良かけんねぇ~」などと、相手にからかわれた場合、私にしてみれば、「俺はとても頭がいいんだぞ~」という自信過剰の発言として捉えられるのである。そこで、自信過剰な人だなぁと感じつつも、「ええ、そうですよねぇ(ニコ)」と返答してしまうと、私自身がかえって自信過剰の発言をしているかのごとく受け取られ、「わいは横着っかなぁ」(お前は横着だなぁ)といったように逆ギレされてしまうのである(笑)
長崎弁に慣れて、自分のことを「おい」、相手のことを「わい」と区別して聞き取れるようになるまでは、一人称と二人称が混乱した。
長崎に旅行に行かれる方は、ぜひお気をつけいただきたいことの一つである(笑)
私にとっては久しぶりに長崎弁に触れる機会であった。
彼との会話で思い出したことは、「おい」と「わい」という言葉である。
子供の頃、「プロゴルファー猿」という藤子不二雄さんのアニメがやっていたのだが、その中で主人公の猿くんは、自分のことを「わい」と言っていた。これは広島弁の方言で、自分のことを指す言葉(一人称)であるのだが、通常「わいは・・・」という会話を聞くと、自分を指す言葉のことだと誰もが思うのではないだろうか。
ところが長崎弁では、「わい」とは相手のこと(二人称)を指す。
私は3年ほど長崎に住んでいたことがあるのだが、初めて長崎弁に触れたときには、この「わい」という言葉の意味がさっぱりわからなかった。たとえば、長崎弁では、「わい、なんばしよっと?」というと、「お前は何をしているんだ?」という意味になる。ところが、私にとって「わい」とは自分自身を指す言葉(一人称)であるため、「わい、なんばしよっと?」と言われると、「俺は何をしているんだ?」という意味に聞こえてしまうのである。だから、(この人はいったい何を言っているのだろう?)とか(この人、自分に話しかけてるぞ・・・)という風に理解するのである。自分に対して言われているとは初めのうちはまったく理解できなかったのである。
だから、「わい、バリ(とても)頭良かけんねぇ~」などと、相手にからかわれた場合、私にしてみれば、「俺はとても頭がいいんだぞ~」という自信過剰の発言として捉えられるのである。そこで、自信過剰な人だなぁと感じつつも、「ええ、そうですよねぇ(ニコ)」と返答してしまうと、私自身がかえって自信過剰の発言をしているかのごとく受け取られ、「わいは横着っかなぁ」(お前は横着だなぁ)といったように逆ギレされてしまうのである(笑)
長崎弁に慣れて、自分のことを「おい」、相手のことを「わい」と区別して聞き取れるようになるまでは、一人称と二人称が混乱した。
長崎に旅行に行かれる方は、ぜひお気をつけいただきたいことの一つである(笑)
2008年2月4日月曜日
親族会
久しぶりに親族と会う機会に恵まれた。
だいたい我が家の家系は、明るい性格の人物が多く、集まれば昔話に花が咲く。
ある伯父は戦後に貨物列車で旅をした時の貴重な話をしてくださった。
戦後すぐ、貨物列車を乗り継ぎ、関門海峡を越える機会をもたれたそうだ。
関門海峡では船に乗り換えるのだが、当時はまだ海上に沈没船が多く、沈没船のマストがあちらこちらに見えたそうである。
そのマストにぶつかりそうになると、カーンカーンカーンという音が響き、船はバックして進路変更する。そんな進路変更を繰り返して船は進んで行く。
戦後すぐの関門海峡には多数の沈没船が浮かんでいたことに驚くと共に、「戦後すぐにそんな旅ができたこの伯父は、一体何者?」と考えてしまった。
いずれにせよ、戦中、戦後の話を聞かせていただく機会を持てたことは何よりの貴重な体験であった。
だいたい我が家の家系は、明るい性格の人物が多く、集まれば昔話に花が咲く。
ある伯父は戦後に貨物列車で旅をした時の貴重な話をしてくださった。
戦後すぐ、貨物列車を乗り継ぎ、関門海峡を越える機会をもたれたそうだ。
関門海峡では船に乗り換えるのだが、当時はまだ海上に沈没船が多く、沈没船のマストがあちらこちらに見えたそうである。
そのマストにぶつかりそうになると、カーンカーンカーンという音が響き、船はバックして進路変更する。そんな進路変更を繰り返して船は進んで行く。
戦後すぐの関門海峡には多数の沈没船が浮かんでいたことに驚くと共に、「戦後すぐにそんな旅ができたこの伯父は、一体何者?」と考えてしまった。
いずれにせよ、戦中、戦後の話を聞かせていただく機会を持てたことは何よりの貴重な体験であった。
2008年2月3日日曜日
2008年2月2日土曜日
神童
生後四ヶ月の我が子が、自分でおしゃぶりを探し当て、いつの間にかくわえている。少し離れたところにおいてあったはずのおしゃぶりを、自分で見つけて口にくわえるているようである。布団の上に寝かせ、しばらくすると、「ちゅっちゅっちゅっちゅっ」とおしゃぶりを吸う音が聞こえてくるのだ。
生後四ヶ月にして、自らの欲することを達成するとは、こやつ、もしや神童か?!と変な期待を胸に抱く。
そういえば、子どもの頃、私の周りにも色々な神童的な人物がいたように思う。
電車やバスの路線や駅名、時刻がすべて言える子
テスト勉強すれば100点、する気がなければ0点の子
高校生にして超難解な数式を解き新聞に載った子
三国志について年号や人物など何でもスラスラと言える子
色々な神童がいたように思う。が、同窓会などで会うと、結構普通のオヂさんになっていたりする・・・
ここで一句
神童も 三十路過ぎれば ただのヒト
(実際には「神童も二十歳過ぎればただの人」とよく言われます)
生後四ヶ月にして、自らの欲することを達成するとは、こやつ、もしや神童か?!と変な期待を胸に抱く。
そういえば、子どもの頃、私の周りにも色々な神童的な人物がいたように思う。
電車やバスの路線や駅名、時刻がすべて言える子
テスト勉強すれば100点、する気がなければ0点の子
高校生にして超難解な数式を解き新聞に載った子
三国志について年号や人物など何でもスラスラと言える子
色々な神童がいたように思う。が、同窓会などで会うと、結構普通のオヂさんになっていたりする・・・
ここで一句
神童も 三十路過ぎれば ただのヒト
(実際には「神童も二十歳過ぎればただの人」とよく言われます)
2008年2月1日金曜日
犬の散歩
帰りが少し遅くなった日には、家の近所でよく犬の散歩をしている人に出会う。だいたい夜の8時半前後のことではあるが、この時間はどうも犬の散歩のピークらしい。多いときには5~6人の人が犬の散歩ついでに立ち話をしており、少しビックリする。
そういえば、小学生の頃、我が家でも犬を飼っていた。ルミという名前で兄の同級生からいただいた柴犬であった。学校から帰り、夕食前に散歩に連れて行くのが日課で、とても可愛がっていた。散歩の折、誤ってどこかに行ってしまったことが何度かあったが、それでも自力で我が家に帰ってくることができる、賢い犬であった。
犬の散歩のある風景は、人間らしさのある風景だと思う。
そういえば、小学生の頃、我が家でも犬を飼っていた。ルミという名前で兄の同級生からいただいた柴犬であった。学校から帰り、夕食前に散歩に連れて行くのが日課で、とても可愛がっていた。散歩の折、誤ってどこかに行ってしまったことが何度かあったが、それでも自力で我が家に帰ってくることができる、賢い犬であった。
犬の散歩のある風景は、人間らしさのある風景だと思う。
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